神戸フリースクールは、今年20周年を迎えます。20年前といえばまだ不登校(当時は登校拒否と言っていました)に社会の目は冷たく、風当たりも強く、不登校の生徒は、おそるおそるひきこもっていたように思います。だれも支持してくれない、だれもわかってくれない状況でしたから、子どもたちは心を固くして、自室にこもるしかなかったと思います。カーテンをきちんと引いて、外部からは気付かれないように、ひっそりと息をひそめて自室にこもるしかなかったのです。だから、不登校生を積極的に受け入れ、サポートするフリースクールが誕生したというニュースが流れると、ずいぶん遠い地方からも問い合わせがありました。そのうち市や県も増加傾向にある不登校に対する対策を考えるようになり、「適応教室」が誕生したり、不登校の子どもたちもいくらか気分が楽になり、親もパニックにならずにすみ、家庭内暴力も減少してきたように思います。それまでは日中外出することが悪いことのように考えていた親子は、夜中散歩に出たり、こっそりコンビニをのぞくというように、肩身の狭い思いで、生活してきました。そういう空気が社会全体を蔽っていましたから、自分を責め、自分を追いつめた子どもが自殺を選ぶという悲しい事件も起こりました。丁度そこへ阪神大震災がやってきて、神戸は6000人以上の人間が亡くなり、学校は「いのちの教育」というものを忘れていたことに気づきはじめます。教育の原点にもどった感がありました。ところがそれは、ほんの一瞬のできごとだったようで、しばらくすると、まるで何事もなかったかのように、学校にはこれまで通りの管理教育がもどってきました。しかし、震災で大きな被害を被った兵庫県だからこそ、「いのち」を考え、子どもの人権を見直し、いじめや不登校が減少するような根本的な「学校教育の改革」を検討するべきだと思います。今からでも遅くありません。この国の子どもたちの未来を考えるならば、大きく学校を変えるべきです。やっと今、民主党政権が「オルタナティブ教育」に注目し、フリースクールなど民間の教育機関を「新しい公共」という観点から、政府が支援する道を考えるべきだという見解を発表しました。やっとフリースクールが公認される時代の到来と言えるのでしょうか。
春間近、教育にも雪解けの時代の足音が聞こえてきます。